Yamamoto Kyoko

ラテンジャズヴォーカリスト
石川県出身、1967年7月12日生、蟹座


Yamamoto Kyoko石川県出身。ラテンジャズボーカリストとして活動。
第10回浅草ジャズコンテストのヴォーカル部門優勝。
台東区文化使節団として豪州マンリージャズフェスティバル出場。
仙波清彦に師事。オルケスタ・デル・ソル退団後、ソロアーティストとして活動を際立たせる。
1998年、NGO主催フィリピンコンサートツアー。2004年、日玖経済交流75周年記念キューバ公演で親善使節団に参加。2005年、カリブ海マルチニーク島での仏革命記念フェルティバル参加。
2010年3月、3rdアルバム「KYOKO」をリリース。
その他、CMやレコーディング等のスタジオワークでも活躍。
ライブでは、「グルーブや想像力を軸に、丁寧かつエモーショナルで心に届く歌声」、という事を心がけている。今までに沢山の方々から、やまもと きょうこの歌を聴いて「気持ちが元気になった!」との声を頂いている。ピアノの弾き語りからオーケストラとの共演まで幅広い編成でコンサート活動をやっている。
2014年度、 第30回 日本ジャズボーカル賞 「優秀歌唱賞」 受賞。
2018年5月、アゼルバイジャン共和国首都バクーにて、前大統領ヘイダル・アリエフ閣下生誕95周年式典コンサート
日本代表にて歌唱。
同年6月、キューバの首都ハバナにて、黄金のボレロジャズフェスティバル招聘を受け、そのパフォーマンスに
好評を戴く。
2018年6月、キューバの首都ハバナにて、黄金のボレロジャズフェスティバル招待を受け、そのパフォーマンスに
好評を戴く。
2019年度、第35回 日本ジャズボーカル賞 「大賞」 受賞。
2022年、世界の歌姫NORA考案の女性だけのラテンコンサートFIESTA LATINAの一員として出演。
アゼルバイジャン共和国にて日本との友好30周年記念の式典で両国国歌をアカペラ斉唱。
インターナショナルムガームセンターにて日本政府からの招聘にてコンサート開催。 現地テレビ出演にて歌唱。
<Oct. 15, 2022 更新>   
Yamamoto Kyoko
幼少よりピアノの手ほどきを受ける(あまりにピアノの練習をしないので、母親に「私は一日30分ピアノの練習をします」という証文をかかされ指紋を押す)。練習をしないのに、発表会では何故か物凄い集中力で間違えずに弾ききる(調子に乗る)。譜面を見るのと練習が嫌いで、最終的には上手くならずソナチネの1番で辞める。クラシック全集を聴くも、聴いて楽しむというよりは、かけて踊ったり、偉大なミュージシャンの名前をもじっては、ダジャレていた。

動物の鳴きまねや英語の歌やCMミュージックを耳コピーして歌う、などをするのが趣味であった。
子供の頃から、好きな音楽が一貫していて洋楽好き、特にクラブミュージックや、ジャズ、フュージョン、AOR、ファンクをよく聴いていた。
邦人アーティストは、YMO, 矢野顕子、RC Successsion,カルメンマキ&OZ、井上陽水。

そろばん塾の見取り算は十人並なのに対し、読み上げ算ではダントツ一位を維持。中学になると英語の教科書を読むのが楽しくなる。

専修大学在学中より音楽活動を始める。

1989年 青山のBarで歌い始める

1991年 第10回浅草ジャズコンテストのヴォーカル部門優勝。
台東区の文化使節団として姉妹都市オーストラリア;マンリージャズフェスティバルに出場。

1992年 邦楽の大家でありパーカッショニスト、仙波清彦に師事し音楽の面白さや大切な部分を教わる。師匠の最初の仕事以来は3日後のアジアンファンタジーリハーサルでの出演歌手たちの仮歌歌唱。約20曲のアジアの国々の楽曲をすべて耳コピーし、リハーサルに間に合わせ た。
その後、数多くの師匠とのコンサート、セッションにヴォーカルとして参加させて頂く。

1993年 オルケスタ・デル・ソルのメンバーとなる。

1994年 仙波清彦HANIWAオールスターズ、広島国立競技場コンサート参加。(歌の最後に空手の試し割を披露。喝采を受ける)

1996年 デルソル退団後、ソロアーティストとして活動を始め、東京・横浜を中心とした日本国内のライブハウスから出演オファーが増加。

1998年 スペイン・バルセロナに短期留学し語学力と見聞を広げる。
1st.ソロアルバム「LOCA AREGRIA」リリース。
グループとしても“ロカ・アレグリア”で全国ツアー敢行。
NGO団体ピンクタンク主催の「やまもときょうこ/竜巻」フィリピンライブツアー敢行。都市6公演で異文化交流を収める。

2000年 2nd.アルバム「TITILEO」リリース。
相川等(tb,cho,perc)、泰輝(p)と共に"G-Minor"を結成。

2001年 ヴォーカリストとしての活動に加え、弾き語りも始動。

2003年 メキシコ人女流画家の映画「フリーダ」の試写会ライブで主演のサルマ・ハエックに絶賛を受ける。

2004年 マキシシングル「KAGAYAKI」をリリース。
秋には日本・キューバ経済交流75周年記念キューバ公演で親善使節団の一員として参加し、好評を得た。
海沼正利(スティールパン&パーカッション)との弾き語りユニット“カフェ・カリエンテ”を結成。

2005年 カリブ海マルチニーク島で開催されたフランス革命記念フェルティバルに、「トゥンバ・クレオール」メンバーとして参加。

2006年より毎年、母校専修大学の入学式典において日本武道館にてボーカルとしてアトラクションを務める。

2009年 歌手活動20週年を迎えた。活動記念ライブを六本木サテンドール、渋谷JZ Bratで両ライブともSold outで行う。ペッカー(perc)仙波清彦(perc)宮之上貴昭(g)、谷口英治(cl)氏達がステージに華を添えてくれた。母校、専修大学学長及び校友会からも花スタンドを贈呈して戴き、育英会からもライブ応援観覧戴いた。ファンクラブ青山支部、沢山のファンの皆さま、関係者の皆様から祝福を受けた。

2010年 3rd.アルバム「KYOKO」をリリース。
“やまもときょうこグループ”奥山勝(p)、澁谷和利(b)、海沼正利(perc)で、ライブサーキット敢行。
やまもときょうこ オリジナルソング「BRILLA(KAGAYAKI)」が、5月の横浜みなとまつりのテーマ&テーマソングとなった。

2011年 3月11日の東日本大震災で都内自身の部屋もかなりの影響を受ける。被災ライブを首都圏や福島で行う。8月、剛腕ピアニストモヒカーノ関8重奏団とのモーションブルー横浜でのコラボレーションライブが、超満員御礼ライブとなる。10月、古くからの同志でヴァイオリニスト寺井尚子のコンサートに出演、数年ぶりの共演にもかかわらず息の合ったライブが大盛況に終わる。
銀座スイングでの「やまもときょうことラテン音楽の旅」が好評につき、Vol.4まで敢行。Vol.2では、中南米で大活躍した著名なヴェテランシンガー;よしろう広石氏をゲストに迎え共演。

2012年 3月、スペイン・セビージャに2週間留学。直接ヒターノのマエストロ(Juan de los reyes)よりフラメンコの師事を受ける。
4月、日本武道館での専修大学入学式アトラクションにてアカペラでAmazing graceを独唱。フィルハーモニー管弦楽団と共演。6月、モヒカーノ関氏とのモーションブルー横浜が一層の大盛況終了。
7月、パーカッション界の重鎮、ペッカー氏率いるPescado de Oroのヴォーカルとして、気仙沼中学にて被災地の皆さんと交流ライブ。
7月、日本丸の屋久島クルーズにて、オルケスタ・デ・ラ・ルスの歌姫で世界中で活躍するボーカリストNORA氏のコンサートにボーカルとして参加。
8月、No1ジャズバイオリニスト寺井尚子とのSTBが前年上の濃い内容で敢行。
11月、横浜サンハート主催の東日本大震災チャリティコンサートをやまもときょうこ グループで行った。サンハートソングを作曲し提供。ビックバンドとの共演多数。

2013年 沖縄合宿にて普通運転免許証を取得。3月11日ペッカー氏率いる、Pescado de Oroにて東日本大震災チャリティイベントに参加。

2014年 9月、アゼルバイジャンへ音楽とザクロジュースの体験の為訪問。
10月、日本ジャズボーカル賞・優秀歌唱賞受賞者に決定。
12月、株式会社Jale Japan代表取締役に就任。
   (「愛と実りある平和な世界」がテーマの、音楽事業とザクロジュース輸入販売会社)

2018年 5月、アゼルバイジャン共和国首都バクーにて、前大統領ヘイダル・アリエフ閣下生誕95周年式典コンサート日本代表にて歌唱。
6月、キューバの首都ハバナにて、黄金のボレロジャズフェスティバル招聘を受け参加。
歌手活動29周年
 


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